【腰塚】
今のお話しで、思い出したことがあったのですけども、
怪我をした時に中学2年生を担任していて、何もなければ
そのまま3年生も担任になる予定でした。
3月の中旬になっても首から下はほとんど動かない状態でした。
そんな中、当時の学年主任と教頭先生がお見舞いに来てくれま
した。
教頭はぼくの卒業した体育大学の先輩でしたから、それなりに
厳しい人でした。僕の主治医と看護師さんから病状を聞いて
「多分、学校には戻れませんよ」と言われているにもかかわらず、
僕のベッドサイドに来て「元気か?」とにこにこしながら聞いて
くれるような気さくな方でもありました。
彼らと信頼関係はしっかりと以前から出来ていましたので、
僕は首から下が動かないにもかかわらず「今の子たちの中3の
担任がしたいんです!」と爆弾発言をしてしまいました。
教頭は「馬鹿なことを言うんじゃない! 3年生は進路指導も
あって、一番大変な学年だ!まずは仕事のことよりも、自分の
体のことを考えなさい」と。
そんなことは僕自身、百も承知でしたが、自分の強い想いを
伝えました。否定されることももちろん分かっていました。
もう一人の学年主任は「そっか、腰ちゃんはそう思っているんだね」
と言ってくれました。僕自身、彼らに想いを伝えたことが嬉しくて、
「まずは学校や教え子のことよりも、怪我を治そう」と考えを
シフトしていくことが出来ました。
3月末に学年主任がもう一回来てくれて、僕にプレゼントが
あると言って渡されたのは、A4の紙一枚のプレゼントでした。
それは『3年1組 担任 腰塚勇人』というクラス名簿だったの
です。それを見た瞬間に僕は怖くなって「僕はいつ戻れるか、分
かりませんよ」と言ってしまいました。
つづく
続きが早く読みたいでしょう?
明日まで待ってくださいね。
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